二式砲戦車(生産型)
BA-3541 直販価格・・・¥3600

実車概要
 「旧軍において、所謂「戦車」が歩兵を支援するものなら「砲戦車」は戦車を支援する車種である。」と、断ずるのは性急なものか?
 独軍のV号突撃砲(初期の)の様に歩兵支援に特化したものでなく、米軍のM10やM18の様に敵の主孜に対する急鎚性だけでもなかった。
 要求されたのは攻撃の中核と成り得るポテンシャルとフレキシビリティであった。
 その為には一部開放式の固定式戦闘室より、旋回可能な砲塔形式が望ましいのは明白であった。
 試製ホイも含め、キューポラの背が高いのは昭和15年4月に制定された「砲戦車の諸元について」の仕様に基づき外部視察能力が重視されたからである。
 試製車輌はチト一号車の砲塔を転用して製作され、準同形態の別車種も存在し砲塔銃の存在も示唆される。
 大戦末期に整備されたチヌ、ホニVに比べ印象の薄いホイであるが、装甲厚はベースとなったチヘ車に準じており、チヌ車に対して劣る事はなかった。
 搭載火砲は試製駆逐戦車甲にも搭載が予定された九九式7.5糎戦車砲が搭載された。
 この火砲は自動開閉機構を備え高い発射頻度を誇っていた。その事は同砲の取り説にも特筆され、この砲に対する自信の程が伺える。
 また、この頃には「タ弾」の配備も進められており、米軍も「75o歩兵砲(歩兵部隊用の四一式山砲の事)から発射可能なHEAT弾」として、その存在を脅威と見なしており、タ弾の整備が速やかならば、ホイ車は侮り難い存在になったのは確実である。
 しかし、生産は昭和19年より始まったにもかかわらず整備総数は試製車輌を含めて僅か31、2輌であり、米軍の本土上陸に備え兵力の温存策が取られた為に戦局に寄与する機会には巡り遭えず、今にその姿を伝える資料は余り多くない。
 本車の略称は「ホイ」では無いと称する向きもあるがそれについては定かでない。  
The contents thing of a product.
The example of an assembly.

Armor Model.BA-3539How to order? / BA-3561