昭和6年から昭和8年ごろに生産された八九式軽戦車(イ号)の車体下部セットです。
軽戦車として開発され軽戦車として制式化されたイ号でしたが、より軽量な軽戦車のハ号(九五式)の開発により新たに「中戦車」の枠を
設け、昭和10年9月に「八九式中戦車」と改定された。
史料から判断される正式な改定の理由は上記の事柄によるが、
それ以前より「中戦車」と表示されていることもあり、その理由としては尾体の追加や砲塔の交換による外観と重量の変化前、後を
便宜的に区別しようとしていたか、旧式のイ号に対し車台正面が斜め一枚板の新しいイ号をやはり便宜的に区別しようとしていた
と推測される。
そして、「八九式軽戦車⇒八九式軽戦車(甲)」の昭和10年8月の改定の件は、車体正面屈折型のイ号を指すのではなく、
上海事変の戦訓の結果生まれた別車の様なイ号を差しているので今や否定された感のある「八九式軽戦車⇒八九式中戦車⇒八九式中戦車(甲)」とする、
加登川文献も読みようによっては間違いではなく、ただ混乱混同してしまっただけのように思う。
(依然として「八九式中戦車」と「八九式中戦車(甲)」は別物。と理解している人は皆無と称しても過言でなく、
そして「甲 初期型」「甲 中期型」「甲 後期型」等の便宜的呼称はもちろん制式なものでなく、正しい理解への混乱をきたすので好ましく
ない)
結論としてこの正面屈折型のイ号は、八九式軽戦車⇒八九式中戦車と改定の道を経、「八九式軽戦車⇒八九式中戦車(甲)」を辿ったイ号
とは別の存在である。
(余談ながら、複雑なことに正面屈折型のイ号と(甲)型イ号の間に存在する、斜め一枚板で左ハンドルのイ号についても
(甲)等、何も付さずに書類上は
「八九式中戦車」と扱われている。類別上、混乱は来たさなかったのだろうか?との疑念は当然のゆえ、これについては今後の研究課題で
ある。