定説化している旧日本軍の支配地域の満州ではなく、クンマースドルフで発見された正体不明の「もの」
("満州云々"は20世紀末、取材に来た日本人の歓心を伺うための出まかせか、訪れた日本人とロシア人サイドとの齟齬が発端と思われる。 後述)
発見時のこれの本体重量は2.5トンで直径1675oの鋳鉄製車輪が5度傾けて取り付けられていた。
車輪に挟まれたクサビ型の区画底部に2気筒のエンジンが取り付けられていたが動輪への伝達機構は無く、車輪の動力は不明。
車内に無線機等はなく有人無人かは不明。(定説化している「1人乗りの偵察車両」は根拠が無く、その発端の経緯も不明。
しかし、サスペンションはなく路面からのショックをダイレクトに伝える鉄輪の「これ」に人が乗って、戦闘や偵察活動を行うには
合理的でない)
自由に旋回可能な車輪を持つ尻尾がエンジン区画に取り付けられているが本体の前後は不明。(「尻尾」の表現は外観の印象により、
根拠は無い)
エンジン区画外板にスリットと小さな角窓が
あるが奥は無く、その用途は不明。
"尻尾の上から頂部付近にかけてのパネルは発見時から無くなっていた"。
(定説化している「背面の出入り口云々」もやはりデタラメ)
残されていたエンジンの出力と本体重量から時速10キロ程度で移動可能と推測され、「これ」については 自走トレーラーか未知の用途の工兵器材のパイロットモデ ルと推測された。
(以上の情報はロシア戦車研究第1人者のユーリー氏と氏の友人に拠る。
しかし
クーゲルパンツァー=兵器説も妄想の可能性を否定はできない。
いわゆる「クビンカショック」から30年以上経ち、あらゆる範囲で研究が進んだミリタリー界隈だが、戦中ドイツ軍がこの
車輌を研究していた資料が欠片すら発見されない。
クンマースドルフにあったにせよ、これはそこで研究されていた兵器ではなく、戦中〜戦前のドイツで販売されていた変った形のトレー
ラー内に壊れた単車のパーツが放り込まれていただけの物に、進駐してきたソ連軍が「研究中の兵器だ」と錯覚しストーリーを
妄想しただけかも知れない。
以前から「満州で捕獲された」と伝えられている四式軽戦車(三式軽戦車、あるいは無名戦車)風の日本軍車輌は占守島と満州で捕獲されたハ号とチハ
をロシア人が合体させたイミテーションで日本軍の手によるものではありません。
当日、日本軍による現地工作という説明がなされたのどうかは定かではありませんが、間に立った通訳は来館した日本人の
様にミリタリーに精通しておらず、博物館サイドのように裏事情に詳しくなかったと思います。
日本人の「この戦車はどこで捕獲されたのですか?」という質問に、そのまま「満州」と返し、日本人が「おお!満州での現地改修車か!」との思い
込みが延々と続いてるだけだと思います。
(通訳は普通のハ号もケヌ風戦車の違いは分からず、車体のハ号が捕獲された場所を伝えただけなのでは?と思います)
この合体イミテーション戦車の作製時期は'90年代初頭らしいので、ゴルバチョフのペレストロイカ改革での外貨獲得のための
話題づくり、言わば「客寄せパンダ」が目的ではないでしょうか?
「第2版」はオプションパーツを省き、現存する状態だけが組み立てられるプレーンな内容にグレードダウンします。
(アレだコレだと覗き窓やハッチを付けても、それはメーカーの仮想によることで、『いや、俺は博物館に残ってるあの状態が欲しい』
というユーザーさんに無用な出費を負担してもらうことなるので、グレードダウンをしようというのが、「初回限定化」の趣旨です。
だったら、『まだ発売してないのだから、初版からプレーンバージョンにすれば?』にというお声はごもっともです、、、。
ところが、最初に発表した仕様でのオーダーが来ちゃってるので、とりあえず最初の仕様での発売をしなくちゃイケナイという、事であります)
初版についてるオプションパーツについては別売となるか、「クーゲルパンツァー独軍型(仮)」や「根拠はなんだ? 満州型」と言う形で設定を追加しての
販売を予定してます。
まぁ、とりあえず価格的にお得なのは初版版です(爆)
弊社としては「妄想っ! アフリカ型」に命かけてますww
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to be Continued,,, |